陸上未経験のサブスリー挑戦

川内優輝選手の走りに感動して、2018年1月よりマラソンの練習を始めました。マラソン3:04(2020勝田)

ニュートラルポジション


インフルエンザに罹ったのをきっかけに、体に負担の少ない胎児姿勢をニュートラルポジションとして意識しながら、ここ数日は走っています。
一歩一歩を終えると、心の中ではその姿勢になるという意識で、実際には、体はその姿勢になっていないです。

この、「心の中に型を持つ」というのが、祈りに近いもので、すごく重要なのではないかと思い始めています。


世界中の人々は祈っています。ずっと前から、今も、これからも。
これだけの多くの人が、祈り続けているという事実から、祈りは精神的に良い効果があるのでしょう。


祈りについて思い出したのは、信州最速の牛山さんの記事
https://note.com/ushiyamaj/n/ne23f82bda820


あと、HUNTER×HUNTERのネテロの名言

「腕がなけりゃ祈れねぇとでも・・・?」
「祈りとは心の所作」
「心が正しく形を成せば想いとなり 想いこそが実を結ぶのだ」


私は、初詣の時と、たまに路上で花束を見つけた時くらいしか祈りません。
そんな少ない経験ですが、私が祈る時は、家族の健康だったり、その方のご冥福だったりと、自分のことは忘れます。
俗欲的な考えだけでなく、祈りの時は自分の体の存在も無に近づいて、対象に想いを馳せているように思えます。
手を合わせて、祈りの言葉を呟くことは、印を組んで、念仏を唱えるのに近い状態なのではないかと。
人々が祈るのは、心と体を無のニュートラルな状態にして、新たに迎えるものを、歓迎する準備をするという、とてもポジティブな行為なのではないかと思います。

そこでランニング中の胎児姿勢です。
これは、手を合わるなどの、印を組む儀式と同じで、このポーズをする事で意識を祈りモードにし、次の一歩に備える。
ランニング中で祈る事で、無理にストライドを伸ばそうとか、力強く蹴ろうとか、ピッチあげようとか、腕を強く振ろうとかの、あまりにも多過ぎる邪念から少しは解放され、体に負担や無駄が少なく、本当に動きたい方向に動かせることができて、結果的に最高のパフォーマンスを発揮できる。
祈るという空白の間がある事で、苦しい時間を減らせる。


そんな効果があるのではないかと、思います。
今までは、体の声に耳を傾けているつもりでしたが、「心の型」がなかったので、比較すべき基準点が存在せず、どのような声なのかが曖昧だったかもしれません。

なんだか、とても精神的な世界に入ってきましたが、そもそもランニング中は瞑想に近い状態なので、体の動かし方や栄養、睡眠ばかりでも、強くなれないのではないかなと。

ちょうど、「歌と宗教 歌うこと。祈ること」という本を見つけたので、読んでみます。
走りながら、ロックやポップをヘビロテさせるのでは無く、どこかの宗教の経典の一部を呟くことになるかもしれません(笑)

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